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西暦 |
年号 |
歴史記述 |
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88 |
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温泉山や島原の事が文献に現われはじめる |
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701 |
大宝1 |
僧行基を開基し、四面宮をあわせて祀り、山号を温泉山と号する |
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713 |
和銅6 |
肥前風土記に「高来の郡」の名の起こりと温泉のことが記されている |
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749 |
宝平1 |
行基菩薩没 |
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778 |
宝亀9 |
大乗院満明寺焼失 |
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790 |
延暦9 |
弘法大師温泉山登山、霊地に如くなしと賞賛する(伝説) |
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931 |
承平1 |
大乗院満明寺再び火災で全焼(温泉山縁起) |
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1115 |
永久3 |
瀬戸石原に300坊、別所に700坊、併せて1000坊もあったことがある(温泉山起源) |
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1571 |
元亀2 |
大乗院満明寺の僧兵、争いを起し、寺も坊も
焼失「白雀の乱」という(邪宗判断記) |
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1625 |
寛永2 |
松倉文後守重政、徳川幕府の命令によりキリスト教徒の弾圧を厳重にする。(この年教徒10人を温泉火坑に投じたと伝えられる) |
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1627 |
寛永4 |
キリスト教徒に対する弾圧は一層厳しくなる。この年から1630年まで「山入り」と称し、教徒を温泉におくり、地獄責めをして改宗を
迫った |
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1637 |
寛永14 |
島原の乱が起こる。12月3日 反乱軍の主将益田天草四郎時貞は原城に入城、反乱軍総数23,800余 |
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1638 |
寛永15 |
2月28日 食糧・弾薬尽き陥落。乱平定。老若男女約35,000人全員死亡 |
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1640 |
寛永17 |
大乗院の旧地を興し、一大釈迦堂が建立され一乗院と号す |
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1653 |
承応2 |
加藤善佐衛門、雲仙に湯つぼを開き延暦湯と名づける(共同浴場のはじまり) |
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1657 |
明暦3 |
普賢岳鳩穴付近から北に向かって溶岩を噴出(明暦の噴火) |
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1663 |
寛文3 |
3月、普賢岳南側、噴火 (寛文3年噴火) |
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1672 |
寛文12 |
温泉の古湯に湯つぼを掘り、2代目加藤善佐衛門が湯守につく |
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1690 |
元禄3 |
ケンペル、長崎に来て西洋医術を伝える。滞在中に著した『日本史話』に雲仙の地名が出る。(ヨーロッパに紹介する) |
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1693 |
元禄6 |
温泉保護のため、山番人を置き4月1日、境内入口4ヶ所に制札をたてる |
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1731 |
享保16 |
温泉の小地獄に浴場をつくる。これを南温泉といい、1653年に掘った古湯のことを北温泉という |
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1738 |
元文3 |
普賢岳に殺生禁止の石札がたてられる |
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1755 |
宝暦5 |
温泉に護摩堂が建立される |
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1775 |
安永4 |
温泉山保護のため、島原藩主が山留役をおく |
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1792 |
寛政4 |
大地震のため眉山が崩落し、大津波発生(島原大変肥後迷惑) |
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1792 |
寛政4 |
温泉札の原の水田工事完成 |
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1823 |
文政6 |
シーボルト『日本』を著し、その著書に雲仙の地名が現れる。“UNZEN・TAKE”としてヨーロッパに紹介 |
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1853 |
嘉永6 |
吉田松陰、小地獄に入る |
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1855 |
安政2 |
高島炭坑技師ブラウンが、外人登山禁止の雲仙に登り、上田屋に投宿 |
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1867 |
慶応3 |
イギリス人2名が許可なく登山したが、小地獄で捕らえられ長崎へ護送される |